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コラム


懐かしの市川訪問...名誉院長:武居秀昭【2013.11.20】
 
前回に私が書かせていただいたコラムでは、青森県の黒石市を47年ぶりに旅行し、当時私が下宿していた住所を訪ねてみたところ、当時小学生だった大家さんの娘さんと再会することができ、とっても懐かしい良き思い出ができたというお話をさせていただきました。

今日はその続編のお話です。
先日、うちの院長やキャストのみんながヨクナールミーティングに参加している間に暇を持て余していた私は、「そうだ、市川へ行こう」と思い立ち、千葉県の市川市を訪れることにいたしました。

前回の青森県黒石市に住んでいたのは今から47年前。
今回はもっとさかのぼって50年以上前、私が東京歯科大学の学生だったころのお話です。

昭和30年代、私の母校の東京歯科大学では、1年生と2年生は教育課程で、千葉県市川市の郊外に校舎がありました。(写真②、③)
それゆえに私はここ市川市に下宿しました。
また、3年生から6年生までは歯科の専門課程で、東京の水道橋に校舎と大学病院があり(写真①)、そこで臨床実習を受けていました。
その間も私は、市川の下宿先から水道橋校舎まで通学していました。

今考えてみたら、昭和30年代は住宅事情も悪く、大家さんは威張っていました。
私の下宿先は120坪の敷地内に、平屋の大家さんのご自宅と、学生が下宿する家がありました。
そのうち下宿の家は6畳の部屋を襖で半分に区切り、3畳2部屋に改造されていました。
私はその中の一室(というより一区切りのスペース)を借りて住んでいました。
北向きの全く日光の差し込まない暗く寒い部屋で、大家さんの待遇も悪かったのですが、下宿代が他と比べて安かったので、結局6年間ここに住み続けました。

ところが…、私が大学を卒業するまで残りあと数か月というところに、ある日突然大家から
「この家を新婚さんに貸すので、全員この家を出て行きなさい」
と告げられ、下宿人全員が追い出されてしまいました。
非常に後味の悪い最後でした(笑)

そんな苦い思い出のある下宿先ですが、私なりには6年間住んだ場所なので、大変感慨深いところでもございます。
そんな下宿先がいまどうなっているのか、6年間住んだ懐かしい街、市川を久しぶりに訪ねてみました。

JR本八幡駅を降りて、今から50年以上前の記憶をたどりながら、下宿先まで歩いてみました。

私が6年間住んだその場所は、現在では一般的な2階建ての住居に変わっていましたが、表札の名前は大家さんのお名前のままでした。
おそらく大家さんの当時のご年齢から考えると、大家さんはすでにご存命でなく、息子さんかお孫さんのご自宅であろうと推測いたします。

もちろん、ご挨拶もせずに帰りました。
一応、写真だけは撮らせていただきましたが、人様のご邸宅でありますので、写真は大幅に画像処理しております。

このあと、昔を懐かしみながら、東京歯科大学の市川病院まで歩いていきました。
昔のままの葛飾八幡宮や、交差点にある交番、そして大学堂薬局、どれもこれも50年前のままの姿で、タイムスリップしたような気持ちになりました。

そして、やってきました東京歯科大学市川病院。
50年前に、私が過ごした校舎の隣に広大なグラウンドがありましたが、そこに建てられたのが今の東京歯科大学市川病院。
私自身、ここを訪れるのは初めてでした。

記念写真を撮ろうと三脚を立てていろいろ準備していたところ、不審に思われたのか、初老のガードマンが私の元へ寄ってきました。
「私は52年前に東京歯科大学を卒業した者です」
と私から名乗ると、ガードマンの方はニコニコ顔に変わり、
「この病院は15年前に出来ましてね…」
といろいろご丁寧に説明をしてくださいました。

そんなわけで、JR本八幡駅から下宿先、そして市川病院へと歩き、最後はJR市川駅から帰路についた私、この日の万歩計は18000歩をしめしていました。
いい運動にもなった束の間の休日でございました。

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