三宅純枝様 60代 女性 横浜市保土ヶ谷区在住
世界中を旅して回るのが大好きという、とてもお元気な三宅さん。元中学の英語の先生ということもあり、いつも明るくお話大好きで、いらっしゃるたびに診療室の空気が明るくなります。
~スイス、マッターホルンにて~
「ヤッホー!」
アルプス山中の大自然の中で大声で叫んだその瞬間、私の足元に何かが落ちた。「あ、歯が…」
それはなんと私の前歯の差し歯だった。しかもコロコロとどこかへ転がっていってしまったのだ。こんな山の中で小さな歯が見つかるか?全く希望が持てないまま草むらの中を探してみると…奇跡が起きた。
「あ、あった!ラッキー」
胸を撫で下ろしながら歯をもとの位置に差し込み、山を下って行った。
「ハロー」「グリュースゴット」
歯があるから笑って道行く人とも笑顔で挨拶が出来る。ユースホステルに戻ってほっとしてシャワーを浴びた。しかし…シャワー中に下を向いた途端、例のモノがまたもやコロッと落ちたのだ。
「わー、今度こそダメだぁ~。」私は排水口を呆然と眺めていた。しかし、なんと奇跡は二度起きた。私の差し歯は足の下に無事いてくれたのだ。
ただいつまでも幸運にばかり頼ってられないと、帰国するとすぐにかかりつけの先生に電話してみた。しかし、今度という今度は私に本当に不運がふりかかってきた。なんとそこの歯医者、閉鎖することになったというのだ。私はその先生に絶対的な信頼を置いており、長いこと遠くまで通い続けていたのだ。他の先生に診てもらうなんて考えられなかったので、とりあえずは流動食でしのごうと、通販でおかゆ製造器を買った。これで何とか生きていける。でも前歯がちゃんとしてないと英語の発音に困る。ああ困った困った。私は途方に暮れた。
そんなある日、友人のMさんに、「あなたが半年に1回歯みがき指導を受けてるっていう歯医者さんに紹介してもらえないかな。」と頼んだ。
「保険、きかないけどいいかしら。」
「ムムムム…仕方がないや。」
藁をも掴むという状態だったのでお願いしてしまった。そこがタケスエ歯科医院だったのである。さっそくインターネットのホームページで下調べをしてから、初診の日を迎えた。
その日、診察を終えたあと、私は先生方に矢継ぎ早に質問した。
「先生!若先生(院長先生)はボストンで修行なさったそうですけど、アメリカの歯の治療って即、抜いてしまうそうですけど…。」
「そういうのもあるけど、うちは患者さんの歯を生かしながらよい方法を選ぶんです。」
「あー、よかった。」
そして写真とレントゲンを撮って詳しく説明をしてくださったおかげで、私の心の中の不安は消えた。
次は歯の磨き方。担当していただいた衛生士さんが毎回、根気強く教えてくださる。けど私はすぐ忘れる劣等生だ。
「三宅さんは飲み物はよく何を飲んでいらっしゃいますか?」
「コーヒーとコーラが多いかな。
「そうですか。例えばコーラ1本の中にはこれだけ砂糖がはいってるんですよ。」
ビニール袋に入った砂糖を見せていただいて驚いた。「こんなに?」
私はアメリカの砂糖産業の片棒を担いでいたのか。
「私が子供の頃タケスエ歯科があったら私の歯はもっとたくさん残ってたかもね。木村さんみたいに全部じゃなくても。」
「その頃私はまだ生まれてません。」と木村さん。
「そうかあ。」
それにしても若いのに教え方がうまいなあ。私の歯に対する考えが一変した。私は知人に会うたび、教わったばかりの歯の磨き方について熱弁をふるう。知人はじっときいてくれて、「今の話だけでも2、3万円の価値はあるね。」と言ってくれる。私はよく若先生(院長先生)にいろいろ尋ねる。「今、使ってらっしゃるその機械何ですか?」若先生(院長先生)は面倒がらず、いつも丁寧に答えて下さる。
Mさんが言う。「私、若先生に治療していただいたことない。」
「それは、私が重症患者だからよ。」
でもお陰様でこの重症患者、流動食を作る機械は使わず仕舞いで、前歯も丁寧に治してくださり歯周病も改善し、おせんべいや豆などが食べられる日々である。
感謝、感謝。